1955年から1970年過ぎあたりにあった高度成長期。
経済は加速的に進歩を遂げていきました。
仕事の幅や連携も進み、時間に追われる人々が増えてくるようになりました。
「経済の加速」が引き起こした、世の中の「時間の加速」。
しかし経済が減速をし始めてなお、「時間の加速」はマイナスに向くこと少なく、多少増減はあったものの現在では当時のトップスピードを追い越しているとも思えるほどです。
それは多くの人が恩恵を受けた際に味を占め、また慣れたためでもあります。
朝に仕事行ってお昼食べてガっとまた仕事やったらもう夜。
当たり前の世の中ですが、少し寂しくないですか、
という主観的なお話を今日はしたいのです。
朝日のゾワッとした昂り。昼の刺すような煌々とした光。夕暮れの哀愁漂う暮れの温かさ。
僕は現在片田舎で生活をしていますが、もう手放せそうにありません。
時間のゆったりとした移ろいに体が”慣れ”、その感動に”味を占め”てしまったためです。
自然の雄大さ⇒ダイナミズムは僕にとって麻薬と同じです。とりわけ肌で触れたら、もう抗うことを辞めてしまいました。
大自然の中であるがままのゆったりとした時間軸の体験を改めて噛み締めることを強く薦めたい、そんな偏見的自己啓発まがいな話でした。