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和牛

最近和牛について学ぶ機会がありました。
和牛の値段は、口に入れる前の「見た目」で決まると知って驚きました。

世の中には本当に美味しい牛肉を生産しようと頑張っている方々がいます。
例えばある生産者は、時に300頭の牛を飼育していました。しかし、完全にストレスフリーな状態で1匹1匹に対し最高の世話をするため、200頭にまで飼育数を減らしました。そうして出来上がった和牛は至極の美味しさを持った肉になったそうです。

 

ところが前述したように、
和牛の値付けに大きく作用するのは「見た目」、霜降りの美しさです。

「霜降りの美しさ」とその肉の「美味しさ」は決して比例しません。

ですので、本当に美味しい牛肉をつくろうとした生産者は、またその技術や愛情は、廃れていってしまうのです。

 

和牛と生産者の独自性や本当の価値である「美味しさ」を守るため、また世界に発信するため、
「Masters of Beef Association」という団体も生まれました。
一応リンク貼っておきます。 https://mastersofbeef.org/

さて、アート業界でも上記の和牛業界のように、
本質でなく外見、それも分かりやすさや、
ぱっと見の外面で判断されることが多い印象を覚えます。

アート作品は度々メディア進出していますが、キャッチーで手軽に見られる作品が多く取り上げられています。

 

もちろんアート作品の「見た目」は非常に大事です。
「見た目」が鑑賞者の足を止め、思考させ「本質」に迫るための切っ掛けを作っているからです。

だからこそ、足を止めて思考したときに、そこに何もないと「アートはこんなもんか」
「アートは感覚だよね」
などとアート界全体が見限られてしまう切っ掛けをつくるかもしれないのです。

ですので、自分がアートシーン・アート業界を作り上げている当事者の一人だと自覚して、共に切磋琢磨して本当に良い作品をつくりましょう。「アート」が消費物にならないために、僕からのお願いです。

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多忙でした

先月ブログを始めた僕ですが、投稿が久々になってしまいすみません。

今日から再復帰です。

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メデリット

読者の皆さま、
「メデリット」という言葉をご存じですか?

調べても出てきません。
これは僕の友人が作った造語だからです。

指し示す意味は「メリットの中にもデメリットが存在する」
ということです。

 

遠くまで早く移動できるツールである自動車。
バイクと比べると、天候に左右されないメリットがあります。

しかし逆に捉えると、バイクは車よりも自然を実感できます。
つまりバイクと比較すると、自然と触れ合う機会を失っているデメリットも潜んでいるのです。

 

このような事例は多く存在します。

この二項対立が表裏一体で相互作用しあう状態を、
その中で利害を示すメリット・デメリットの共存を、
語感の良い「メデリット」と呼びたいのです。

ぜひ「メデリット」をご活用ください。
また、「メデリット」の普及にご協力ください笑。

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経済の加速と時間の加速

1955年から1970年過ぎあたりにあった高度成長期。
経済は加速的に進歩を遂げていきました。

仕事の幅や連携も進み、時間に追われる人々が増えてくるようになりました。

「経済の加速」が引き起こした、世の中の「時間の加速」。

しかし経済が減速をし始めてなお、「時間の加速」はマイナスに向くこと少なく、多少増減はあったものの現在では当時のトップスピードを追い越しているとも思えるほどです。

 

それは多くの人が恩恵を受けた際に味を占め、また慣れたためでもあります。

朝に仕事行ってお昼食べてガっとまた仕事やったらもう夜。
当たり前の世の中ですが、少し寂しくないですか、
という主観的なお話を今日はしたいのです。

朝日のゾワッとした昂り。昼の刺すような煌々とした光。夕暮れの哀愁漂う暮れの温かさ。

僕は現在片田舎で生活をしていますが、もう手放せそうにありません。

時間のゆったりとした移ろいに体が”慣れ”、その感動に”味を占め”てしまったためです。

 

自然の雄大さ⇒ダイナミズムは僕にとって麻薬と同じです。とりわけ肌で触れたら、もう抗うことを辞めてしまいました。

大自然の中であるがままのゆったりとした時間軸の体験を改めて噛み締めることを強く薦めたい、そんな偏見的自己啓発まがいな話でした。

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毎日が叙々苑

高級焼肉「叙々苑」に行ったことがありますか?
僕は2回だけあります。

叙々苑は高くて自分のお金では中々行けません。
そんな中で、コント師「やさしいズ」さんが
毎日叙々苑に行く方法を生み出してくれました。

さて、コント内の理論は「相対的なグレード」を軸として構成されています。

 

私たちも何気なく、悪いモノと良いモノの選別を、それぞれの主観から判別しています。

そしてコント内でもあるように、
日常をどこに置くかで、良いモノ、更に良いモノ・・・
と、無意識にグレードをつけています。

 

ただし”味”のように、上下のグレードを体験し、理解しているからこそ、グレードの概念を掌握できるのです。

 

例えば英語を聞いたこともない人からしたら、
英語が上手な人、ネイティブの人、ドイツ語を話す人、
区別や上手下手が分かりませんよね。

芸術の世界では、この問題に悩まされています。

大衆芸術として、音楽ではPopsや、文庫ではコミックなど、
多くの人に親しみやすい芸術作品群は浸透しています。

 

一方で端的に真意を語らない現代美術の作品は、Popsやコミックと比較してどうでしょう。

圧倒的に触れた人の数は少ないことでしょう。

※大衆芸術と現代美術は上も下もありません。
 ここでは系統や見せ方、目的、客層などが異なるため区別をしました。

彫刻や絵画を楽しみ、体験したことがないと、良いモノ、悪いモノの判断がつきません。

しかし絵画でいえば、お絵描きやキャラクターイラストを世間では”#”をつけて、「アート」や「作品」と紐づけて芸術に触れたと満足しているのが現状です。

 

現代美術は、今の世界の新しい見え方の指針・模索・提案が
今もなおされ続けています。

大衆芸術を入り口として、芸術の世界はこんなもんかと見切って帰らずに、隣のブースにある彫刻や絵画、音楽に文学、建築など幅広い多種多様な芸術領域をまずは是非体験してみて下さい。

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足るを知る

仏教用語って私たちの日常に溶け込みながらも、
教訓として今でも大いに当てはまる内容ばかりです。

いや、資本主義経済の行くとこまで来た今こそ、見直される必要があるかも知れません。
今回はその内の1つを紹介したいと思います。

 

それは

足るを知る

です。

 

「たるをしる」と読み、足りていることを知る、
つまり”あなたは既に十分に足りていることを理解する”
という意味です。

「足るを知る」の幸福の観点からいえば、
幸せは掴みにいくものでなく、既にそこにあるのです。
そのため前ばかり見ていると、幸せを見失ってしまいます。

資本主義経済の中で、会社は常に黒字幅を大きくすることを強く求めます。

例えば、年間目標利益額が1億円の会社があるとします。
とある企画が成功し、1億円の黒字が出ました。
では、1億円の黒字が出たからといって1年間休みになるでしょうか。

もちろんNOです。

 

企画部は1億円の黒字を皮切りに、会社がより大きな黒字を出せるように歩みを緩めず、次なる利益を追い求めます。

そうした欲望の追い風が吹く、資本主義経済の歩んでいる目的地は、永遠にたどり着くことが出来ない幸福への旅路なのです。

 

こんな時代だからこそ、「足るを知る」。
今一度歩みを止めて、周りを見渡してみて下さい。

手を前に伸ばさなくても、
幸せはあなたの傍らにあるはずなのです。

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光に寄る虫

光に集っている虫々、正直ゾッとしますよね。
間違ってもあの中には入れません。



「虫は光に寄ってくる」は世界の共通認識です。
しかし虫は好きで光に寄っているわけではありません。

だって寿命の短い昆虫がわざわざ一晩、餌があるわけでもない街灯の下に集ってしまう意味は無いのですから。
それでも虫が光に集まる原因は、昆虫の目の見え方によるものなのです。



昆虫の目は人間には見えない「紫外線」の波長を捉えることが出来ます。その紫外線を元に、自分が飛ぶ方向や現在地を把握しています。

日中は紫外線を伴う太陽光が、”真上”から多量に落ちてきます。太陽光を背に受け世界のベクトル方向を理解します。



それでは虫の気持ちになってください。

太陽の紫外線を背に受けたとき、ここは平行な地面だと理解します。
平面の地面から跳ねて飛び立つには、斜め上方向に飛べば良いですよね?
それで行きたい方向に進むことが出来ます。
丁度上の画像のような状態です。

さて夜になりました。
昆虫は、宇宙から降り注ぐ微量な紫外線や、もちろん月明りや星明かりもを捉えて活動します。

しかしそれは20万年前の話です。
人類が日常的に火を使いだしたのです。
さて明かりを背にして平衡感覚を得ていた昆虫の飛び方はどうなるでしょう?先ほど伝えた飛び方のように、光を背に受けて斜め上に飛び立ちます。
光や紫外線波長を信じて、行きたい方向に飛ぼうと思うと、まさに写真のように明かりに集ってくる飛び方をしてしまいます。

そう、飛んで火にいる夏の虫とはこのこと。

虫にとって、人類は後から誕生したくせに方向感覚はずらされ、生活領域や食料は減らされ、挙句の果てに近くによれば殺され、、、えらい迷惑ですよね。



昆虫は4億年前からこのやり方で地球で生活していました。
人類が火を使い始めたのは遅くても20万年前と、虫の歴史からするとごく最近なのです。

そして「これは太陽の光ではない!」と気付いた昆虫は、
後世にその学びを伝えることなく、
火や、噴火などに飛び込み、
白熱電球の熱さに焼かれ、死んでしまったのです。



虫が進化し、人間が発明した灯りと太陽光を識別できるようになるのはいつでしょうか。

或いは、漫画「テラフォーマーズ」のように、強欲な私たち人間に反旗をひるがえす日も来るのでしょうか、、、

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世界は広いぞ大きいぞ

本日のつぶやきは、昨日の投稿↓
https://bidai-neet.com/2021/10/09/artistnomesen/
の続きにもなります。

 

昨日は、アーティストは散歩のときギョロギョロ視点移動する話をしました。

今回はぜひ、”読者の皆さまにもそうなって貰いたい!”
そんなお話です。

 

 

まず、散歩の際あらゆるものに視点を落とすことのメリットについてお話します。
それはずばり、興味分野の拡大です。

 

例えば僕は建築畑出身です。
僕は街を歩いている時、建築物を注視するのが好きです。

「間取りはきっとこうで~」
「開口(窓の意)から入る日光具合いいなあ」
「室外機の配置と建蔽率的に戦前の建物だな、、」

など、学生時代は他に目もくれず建築構造や建築概要ばかりを見ていました。

しかしながらある日、油絵学科の学友と散策をしているとき驚いきました。建築を見ているため上方向を向いて喋る私の傍らで、彼は下ばかり見て会話をするのです。

そう、彼は道咲く街路樹や低木、草花の見ては感動し、散策をしていたのです。

視点を変えれば異なる世界、素晴らしかろうモノを、注視すれば心動いた可能性のある機会を、私は失っていたのです。

 

この失敗は、読者の皆にとっても教訓になると思います。

普段目を落とさない箇所に、別の人が感動している世界があるはずなのです。

 

皆さまも普段何気なく見るもの、或いは好んで見るものがあると思います。
再度言いますがそんな時は是非、いつも見ないモノをぜひ注視してみてください。そして別の物も、また別のモノも。

そうして私たちと同じくギョロギョロ族になってください笑。

 

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アーティストの目線

僕は散歩が好きです。
散歩しているとき、僕たちアーティストは”何”を見ながら歩いていると思いますか?

 

正解は”すべて”です。

 

・・・

いやあ、本当にすべて見てるんですよ。
街路樹を見ては、
「木とは?」「街路樹とは?」「葉の付き方は、、ほぇえ~」「葉っぱと木の枝の関係性は・・」

窓に目をやると、
「透明っていいなあ」「ガラスと窓枠って関係正しいのか?」「ガラスとさっきの街路樹の組み合わせいいな」

車を見れば、
「車種なんだろう?」「国産車と外車の概念的差とは?」「車にもガラスついてるな、家との差分で使えるか、」

などなど。

 

視線の先にあるすべてが創作のヒントとなるのです。
次の題材に成り得るのです。

アーティストの方と散歩する機会があったら彼ら彼女らの視線がどこに向いているのか注意してみてください。

アーティストは、不審者かのようにギョロギョロと見まわしながら怪しく歩いているので、アーティストを見ていても面白いですよ。

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福山通運

私は福山通運のトラックが好きです。
運転中、反対車線を横切るトラックが「福山通運」であると

「ありがとうございますー!」

と口に出してしまいます。

 

いや、直接的な恩恵を受けた覚えはないのですが、
なにが好きって反対文字ですよね。
西洋渡来の「左→右」の読みが当たり前の現在、
上の画像にあるように、福山通運は
「運 通 山 福」
となっているのがたまりません。

横書きの文字が今と逆だった大正~昭和初期の名残を、日常で感じさせてくれるのは福山通運と、日本武道館の看板くらいなものです。

 

福山通運ならびに運搬業の方々、僕たちの今の日常を支えてくださってありがとうございます。