僕の周りのアーティストないし作家は、喫煙者が多いです。
なんでしょうね、作品や、作品の大本である観念を議論しているとき、タバコは必須じゃないですか?
脳と喋る口がリンクしないというか、、、
タバコが吸えないとアーティストも減ってしまうのでは?
そんな話をしていると、喫煙者には肩身のせまい世の中です。
大勢の非喫煙者や、本数を減らせと言う彼女にまた怒られてしまいますね。っていうことでこの話は内緒で。
僕の周りのアーティストないし作家は、喫煙者が多いです。
なんでしょうね、作品や、作品の大本である観念を議論しているとき、タバコは必須じゃないですか?
脳と喋る口がリンクしないというか、、、
タバコが吸えないとアーティストも減ってしまうのでは?
そんな話をしていると、喫煙者には肩身のせまい世の中です。
大勢の非喫煙者や、本数を減らせと言う彼女にまた怒られてしまいますね。っていうことでこの話は内緒で。
みなさんは魚、好きですか?
僕の地元に漁師の友人がいます。
「今日はカツオが何十kgだったよ~」とか、
「今日はキハダ(マグロ)3匹とったよ~」だとかの報告を嬉しそうにくれます。
一方で
「時化(嵐)がすごくて頭から波かかってきたよー!」や、
「目の前でサメに食われちゃった」やら、
「魚の引きがすごくて手切っちゃったよー」など
漁の過酷さも本人から耳にします。
マグロやカツオに使う糸はiPhoneの充電コードくらいの太さの糸です。それがパツンと切れれば、反発で体に刺さってくるそうです。恐ろしい、、、
しかし危険であっても稼ぐために、漁に出るのだそうです。
この時期この地元では、
キハダマグロもカツオもkg=1000円もしない程です。
それでもたしかに量を釣ると稼げますが、その際には何百kgの積み下ろしも待っています。
また鮮度を保つために事前に何百kgの氷も積み込まないといけません。
そんな重労働の漁を経て、市場を渡って、私たちの手元に魚が届くわけです。いやあこれを知ったら、漁師さんたちの方向に足を向けて寝られませんよね笑。
「インスタレーション」ってみなさんご存じでしょうか。私、美大卒ニートが大学生時代から専攻してきた芸術の一ジャンルです。直訳すると空間彫刻?体験型空間表現?
「彫刻作品」と比較すると分かりやすいのですが、
例えばA美術館に展示されている「とある彫刻」をB美術館で展示したとします。そのとある彫刻の意味やコンセプトは変わりません。作品そのもので”完成”されているためです。
ところが「インスタレーション作品」はA美術館からB美術館に移動することがそう易々と移動できない場合が多いです。インスタレーションは空間そのものを作品にします。なので壁や天井、床の距離感や材質によって調整が入ります。
そして、インスタレーション作品のアーティストは場所にこだわります。その作品が都市部にあって意味をなすのか、或いは暗い場所で成り立つのか。作品によって様々ですが、展示される雰囲気や展示方法、土地情報なども作品の意図と関わってくるのです。
実例でいえば、私=美大卒ニートの作品になりますが、こちらの作品。地面から見上げると3.8mあるためとても大きく見えるオブジェクトです。一方で次の画像を見て下さい。
上の階から見下げると、断面を見ることが出来ます。そしてそう。遠近法も相まって、少々こじんまり感じるのです。
鉄筋コンクリート建築の吹き抜けで展示したことにも意味を持たせているため、そんな建物を階移動して見方がまた変わって、またこの建築に合わせて高さも調整しています。
では、この作品が森の中にあったら?
いや、渋谷の109の前にあったら?
意味も変わってきてしまいますよね。
これがインスタレーションの面白いところであり、難しいところです。
今インスタレーションはアート界の流れ”アートシーン”の中でとてもホットなジャンルです。チームラボなんかも空間体験アート?としてヒットしましたよね。これからのインスタレーションに是非ご注目ください!
私は虫が大嫌いです。好き嫌いというよりも、目の端に動こうモノがいたならばビックリして退いてしまうのです。
虫は自然の物、とよく耳にしますが、爬虫類はどうでしょう。魚類は?鳥類は?・・・では人類は?
「デジタル大辞泉」によると、
1 山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの。「自然に親しむ」「郊外には自然がまだ残っている」
2 人間を含めての天地間の万物。宇宙。「自然の営み」
…(以下略 https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%84%B6-74616
とされています。
「自然」というワードには、「人工と自然の二項対立の意」と、人間ないし人間がつくった人工物も含めた「万物を自然とする意」のどちらも指し示す面白いワードですね。この発見は私の中で重要なファクターになりそうです笑。
「美術」が世界を変えられるか問題は、しばしばアーティスト同士で議論になります。実例は多くあり、今日はその1つを紹介したいと思います。
1661年、フランスの大蔵卿(大蔵省の長官)の二コラ=フーケの城、「ヴォー=ル=ヴィコント城」が完成しました。
建築家=ルイ・ル・ヴォーの、優美な新城。
庭師=アンドレ・ル・ノートルの、完璧な秩序、階層、調和をつくりあげた幾何学に則った庭園。
それはフーケにとって夢の館と庭園でした。
完成祝賀会にはフランス国王の、ルイ14世が来訪しました。ところが祝賀会の約3週間後、城主フーケは逮捕されました。刑は終身禁固でした。
フーケは国王ルイ14世の怒りを買ってしまったのです。
彼の罪は王国の財産を奪ったとされていますが、真意はあの”美しい城”でした。
ルイ14世は”優美な装飾の館”と”幾何学で完成された美しさの庭”を持つフーケの城に嫉妬し、フーケを生涯牢の内に閉じ込めたのです。
ルイ14世は、ヴォー=ル=ヴィコント城から噴水や彫刻、木々に至るまですべてを奪い、魅力ある館を台無しにしました。そして奪ったものは、自身のヴェルサイユ宮殿建設予定地まで運ばせました。
ヴェルサイユ宮殿の建設にあたっては、フーケの雇っていた建築家ル・ヴォーに新城の設計をさせました。また庭師アンドレ・ル・ノートルはヴェルサイユ庭園の筆頭造園技師に任じられ、フーケの庭園をはるかに超える規模で再生する仕事に就きました。
「ヴォー=ル=ヴィコント城」を造った建築家と庭師を招集し、ヴェルサイユの新城設計を命令することは、ルイ14世がヴォー=ル=ヴィコント城の美しさにそれだけ心を奪われ執着していたことが分かります。
しかしながら当時のフランス国王に時間や資源の余裕はありませんでした。ルイ14世は23歳でまだ若き王のため、抵抗する大臣たちとの間で法整備をし、領主貴族ら、分離派プロテスタント、都市の最高裁として機能するなどの多忙に追われていました。地方での反乱や、近隣国との戦争も繰り返しありました。
そんな中でも乏しい資源をヴェルサイユ宮殿建設に注ぎました。
ヴォー=ル=ヴィコント城への「美」に囚われた執着があらゆる事業への判断力に勝ってしまった実例なのです。それはしばしば財務大臣とも揉めていたほどに強大な執着でした。
「美術」 ⇒ 今回は建築と庭園の美術領域でした。
それらの美しさが、フランス国王であったルイ14世の心を動かしました。
話をまとめると、
「ルイ14世がフーケの城に見ほれ、嫉妬し、執着心が芽生える」
⇒「パクるためにオリジナルの持ち主、フーケは投獄される」
⇒「ヴェルサイユ宮殿をオリジナルを造った芸術家たちに建設させる」
⇒「国内外情勢に割くはずの資金や時間をヴェルサイユの新城に充てる」
⇒「フランス国内外の情勢と、国家の財政に影響が出た」
ということです。
”風が吹けば桶屋が儲かる”ではないですが、「城の美しさ」が「国を変えた」のです。そしてこの「ヴェルサイユ宮殿」は「17世紀のフランス式庭園の展開の指針」となり今では世界遺産となりました。
さてさて、幾何学は今や数学の一分野として落ち着いていますよね。しかしながらルイ14世ら当時の立場では、仰ぎ見るような権威の学問であったのです。厳密で反論のしようのない定理群は、万物に行きわたる、奥深くも異論の余地のない帝王学の神髄のような秩序を表しているのです。
幾何学、うーむ。
完璧な秩序、階層、調和。否定できない理性の法則支配の構造です。
世界と王国の固有の秩序を独自的に解釈し、この世に表出させること。アートの在り方とも言えるのですが、フーケの場合、ルイ14世の王国の区画に「完璧な秩序の美」をつきつけたのが、国王と対抗的な立場に追い込んだのでしょう。
美術は世界を変える力となります。しかし”どういったものが”、”どのように”世界と人々に影響をもたらすのかを知るためには、時流およびアートシーンを読み解く必要があります。
また機会・ご要望があれば、別の「美術が世界を変えた話」をしていこうと思います。ではまた。
私は現在、伊豆半島にいます。
伊豆はとにかく自然がすごい!ひとまず無修正で見てください!
もうこんなの見せられたら。。。無理ですよね。
この街で育った人間からはアーティストは産まれません。だってもう至上の「美」があるのですから。
失礼しました。よっぽどの強心臓でなければこの美しさと対話し「美」を生み出そうとはならないでしょう。
私はトラウマになっちゃったのでしばらく療養します。おやすみなさい。
みなさまはじめまして。
このブログは、美大卒ほぼニートの私が「美術」とは何かを見出していくための記録、そう備忘録みたいなものです。
美術ってなんだろう?美術作品を何のために、どこに向かって作っていくのだろう?そんな問い建てをし、毎日のように投稿していきます。